~ヨットでたどる風待ち港~ 菱垣廻船の航跡(大阪~東京)

大阪港開港150年にあたる2017年。市民ヨット愛好家らが、江戸時代 上方から江戸への物流を支えていた菱垣廻船の航跡をたどり寄港地の港を繋ぎます。それが「ヨットでたどる風待ち港~菱垣廻船の航跡」です。

 

【予定】2017年(平成29年)5月3日(祝・火)午前10時~出港式典

場所:大阪市港区築港 高野堀海域を予定

協力艇:ヨット サザンクロス号(40ft)           艇長:中路康行氏

全長12m,4m,マスト15m、吃水2

 

~風待ち港~(南海路)主な寄港予定地

上方/大坂→由良/淡路→有田/湯浅→すさみ→大島→浦神→九鬼→須賀利→的矢湾/渡鹿野島

妻良/南伊豆→下田→三崎/横須賀→江戸/東京港晴海着5/20(土)13時予定 大坂帰港5/下旬

風待ち港

(なにわの海の時空館 展示総合図録から引用)

この航路は「天下の台所」大坂から大消費地の江戸に向けて、木綿、繰綿、油、酒、醤油、砂糖、紙類など様々な生活物資を大量に送る海の大動脈であった。

 

~上方~江戸間の海運 菱垣廻船~

徳川幕府が開かれ、江戸が大都市として発展してゆくにしたがって、さまざまな物資が必要となりました。大坂から江戸への物資輸送は急務となり海運業が発達しました。その航路で活躍したのが菱垣廻船です。1624年(寛永元年)、大坂北浜の泉屋平左衛門の江戸積の廻船問屋を開業、定期運航が始まります。それを皮切りに次々と廻船問屋が開業し、後の菱垣廻船問屋と発展します。 菱垣廻船は大坂の二十四組問屋と江戸の十組問屋の共同運航的に運営されました。菱垣廻船のシステムは、物流、商品の品質、価格などの安定に寄与するもとして幕府の保護もありました。

荷主の違う小口の生活必需品を一括して一隻の船で運ぶ方式は、当時画期的なものでした。その積荷の主なものは九品(くじな)とよばれ、現代でも商品取引など経済の指針となる品々です。 18 世紀に入り、菱垣廻船で運ばれていた兵庫産の酒や水油などを専門に運ぶ樽廻船が派生します。その後、明治維新により菱垣廻船の運営主体である株仲間(問屋組合)が解散。菱垣廻船の歴史は終焉を迎えます。明治政府は近代化の一環として、蒸気船など西洋型の船を推奨しますが、日本の近海航行に適し、ランニングコストもよい弁財型の和船は明治中頃まで建造され続け日本の海の主役でした。

菱垣廻船

写真提供:セーリングヨット研究会

 

~プレイベント 48日(土)13時~16

講演会「弁財船(千石船)を産み育てた塩飽の人たち」

講師:市民歴史研究家 藤本 増夫氏(大阪港市区在住)

「菱垣廻船復元の記録」55分上映

場所:天保山客船ターミナル2階

大阪市営地下鉄 地下鉄「大阪港駅」下車すぐ

 

主催:  菱垣廻船の航跡~風待ち港実行委員会

後援:  一般社団法人港まちづくり協議会大阪

菱垣廻船復元プロジェクト

 

使用ヨット‗サザンクロス

サザンクロス号

                                                                                                                                              (順不同)

協力:大阪帆船と国際交流の会(セイルオー20th)、  公益社団法人 大阪港振興協会、

独立行政法人 海技教育機構、   咸臨丸子孫の会、  NPO法人 大阪北港ヨットクラブ

セーリングヨット研究会、  株式会社近畿パッケージ、  サザンクロスの夢航海

一般社団法人 セーラビリティ大阪、 一般社団法人 大阪北港ディンギークラブ

上野電気工業株式会社、  NPO法人ジョンマン・ホイットフィールドの会

株式会社アートキャップ、ハートアイランド渡鹿野島、 エッセイスト 石濱 紅子氏

 

特別協力          神戸商船大学名誉教授(現神戸大学) 松木 哲氏

 

東京港 接岸場所はこちら ←クリックで地図表示

※(東京都中央区晴海5丁目 海技教育機構 晴海専用桟橋H-2)

 

 

 

 

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