よろず帆船人突撃インタビュー 【53】 練習帆船<海王丸>元船長 荒川博さん

<海王丸>元船長といえば、以前国枝佳明さんにもご登場
いただきましたが、今回は国枝さんの先生でいらした
荒川博さんです。荒川さんのお散歩コースのある、緑豊かな
武蔵野市体育館のカフェでお話しを伺いました。

よろず帆船人突撃インタビュー 【53】
元練習帆船<海王丸>船長 荒川博さん

荒川博(あらかわ ひろし)さんプロフィール
ご生年:1931(昭和6)年
ご出身:東京都

荒川さん 船と海かるた OLYMPUS DIGITAL CAMERA
船の科学館 読書ルームで開催した「船と海かるた」のイベントで
レクチャー下さる荒川さん

旧制中学を卒業後、高等商船学校に入学。卒業後は川崎汽船に入社。
内航船勤務、陸上勤務などを経たのち航海訓練所に出向し、練習船<銀河丸>
<日本丸>などで後進の指導にあたる。<進徳丸><青雲丸><海王丸>の
船長を歴任した後、航海訓練所所長。
おそれ多くも、当「よろず帆船人」No.29にご登場下さった元<海王丸>キャ
プテン、国枝佳明さんは教え子。「人と船そして海」「いろはかるた船と海」
「姉妹と昭和の海」など著書多数。ご趣味は雑学とお散歩。

以下、
荒川博さん:HA
Salty Friends:SF
文中<ポン丸>=<日本丸>、<海王>=<海王丸>

【SF】 いつも皆さんに伺っているのですが、まず何故船乗りになろうと思わ
れたのですか?

【HA】 ぼくは4人兄弟の長男なんですが、かけソバ一杯30円だった子供の頃
は、生活が苦しくてね。当時の高等商船学校は、奨学金も良かったし、食費
以外は基本的に月謝なし。さらに船会社に入れば、米のメシも食えるし外国
にも行ける!という理由で商船学校を選んだんです。次元の低い話ですいま
せん(笑)。

【SF】 とんでもない!(笑)そういえば、今までお話を伺った方のなかで
「外国に行けるから」という理由で船員という職業を選ばれた方は、意外と
多いですね。それだけ一昔前は、海外旅行が高嶺の花だったということでしょ
うか。荒川さんは、帆船では船長を務められた<海王丸>だけでなく<日本
丸>にも長いこと乗っていらしたんですよね?

【HA】 僕はもともと<日本丸>育ちなんですよ。学生時代はまるまる一年、
航海訓練所に出向して三等航海士から次席、一等航海士にいたるまで、ずーっ
と<ポン丸>でした。トータル7、8年になるかな?<海王>の船長になった
のは、専任教官として1年半務めたあと、昭和59年から60年にかけてです。

学生時代、ぼくの一つ上の学年は朝鮮戦争世代。<ポン丸><海王>は
太平洋戦争中の昭和18年、2隻ともヤードを下ろして機船状態で
実習していました。帆走を再開したのは、昭和27年だったかなぁ。

荒川さん 5
乗組員がヤードに上って挨拶する「登檣礼」(とうしょうれい)は帆船時代、
相手に対して戦意がない(=大砲に人がついていない)ことを示すために行
われていた慣習。現在は出入港時の最高儀礼。

【SF】 太平洋戦争中は、ヤードを降ろして石炭運搬船に身をやつしていた
こともありましたよね。でもそのお陰か、ドイツの<ゴルヒフォック>や
ロシアの<クルゼンシュテルン>のように、進駐軍に接収されなかったのは
幸いでした。

ところで2013年、とうとう大阪の<あこがれ>も<海星>同様、セイルト
レーニング事業を廃止しました。(2014年5月現在、元<あこがれ>は
グローバル人材育成推進機構所属<みらいへ>として運航準備中)
日本を代表する<ポン丸><海王>に対してさえ、「2隻もいらない」という
声もあるようです。このような寂しい日本の現状については、どうお考えですか?

【HA】 いま航海中の<海王>二世を建造する時にも、「今さら帆船なんて」
という声はありました。でも「無駄の効用」というか、すぐには効果が出な
くても、後々かならず役に立つことってありますよね?私が乗っていた時に
は「甲板係」や「副直」という担当を学生の中から選んでいましたが、これ
が航海だけでなくみんなの生活全般の面倒をみるといった、とても責任のあ
る職務なんです。

最初はぎこちなくてナヨナヨしていたのが、段々変わってきますね。成長して
自主的になっていく。全員が一つにまとまって作業することに、すごく意欲
的になってくるようです。もちろん、同じような効果は汽船でも見られますが、
帆船の方が操船が難しい分、顕著に表れるのかもしれませんね。当然ですが、
学生を飽きさせないよう、教官達も一生懸命勉強するんですよ。

私は、自然は「師善(しぜん)」だと思っています。先生はおてんとう様、
そして船は道場。我々はそのお手伝いをしているだけです。

【SF】 おぉーーー!!もうインタビュー終わってもいいくらいの名言ですね
(笑)。深いです。さて、荒川さんは30年近く海の上でお仕事なさっていた訳
ですが、とくに印象に残っている出来事などありますか?

【HA】 そうですね、いろいろありますが、そういえば<青雲丸>の船長だった
ときに、夜、大阪から横須賀に向かう航海中、潮岬沖で人命救助をしたことが
ありましたね。11月で風が強く、シケていたためにバージ(台船)を引っ張っ
ていたタグボートが転覆したんです。

夜7時半ごろだったと思いますが、当直が点滅している遭難信号を発見。すぐ
に現場に向かうと、救命ボートで乗組員4名が漂流しており、なんとか救助し
ました。荒れた海で光る点のように小さな光なんて、よほど気を付けて見てい
ても見過ごしてしまいますよね。実際、何隻も近くを通ったのに気づいてもら
えなかったそうで、うちの当直がたまたま見つけられたのは幸いでした。

荒川さん 海王丸028
力をあわせてロープを引く!

そうそう、<海王>の船長だった時にもいろいろありましたよ。
ハワイへの遠洋航海訓練中、風に恵まれ帆走だけでかなりの距離を走り、もう
ちょっとでホノルルだという頃のことでした。大船渡から漁に出ていたイカ
釣り漁船で、大ケガした人がいるので手を貸してやって欲しい、と海上保安庁
から連絡が入りましてね。

うちはドクターを乗せているでしょ。急遽、帆を畳んで変針し、救助に向かい
ました。応急処置をした後、ご本人は飛行機で帰国しましたが、後日ドクター
から聞いたところでは、その方のケガは結構深刻な状態だったとか。大事に
至らなくて本当に良かったです。

でね、話はまだ終わらないんです(笑)。それから何年か経って <海王>
二世を建造する計画が持ち上がり、一般から寄付を募ることになった時の
こと。そのホノルル近くで助けた漁師さんが、あの時世話になったからと、
なんと10万円も寄付して下さったんですよ!びっくりしました。

【SF】 まさに「情けは人の為ならず」・・・TVドラマみたいな展開ですね。
乗っていた学生さん達にとっても、人命救助なんて、めったにできない貴重
な経験になったのではないでしょうか。

荒川さん 20,7,84034
遠洋航海で訪れたハワイでパレード。

【HA】 本当にそうです。あと<日本丸>に乗っていた時には、アメリカの
核実験にも遭遇しましたよ。当時、私は次席二等航海士で、学生たちに
ちょっとカツを入れようと、救助艇操練をやっていた時のことでした。
ハワイから日本に帰るとき、出航して1日めか2日めの午後だったかなぁ。

ジョンストン島の近くを航行中、飛行機が飛んできて、我々の頭上をぐる
ぐる回り、何かを落として飛び去って行きました。回収してみると、中に
は色々な国の言葉で(日本語はありませんでしたが)「貴船は危険に向かっ
ている。大至急もと来た方へ引き返せ」と書いてあるじゃないですか!

大急ぎで操練中のボートを収容し、全速で北上中、翌日の深夜
(昭和33年7月31日船内時23時45分頃)空を見るとキノコ雲が!
アメリカ、ジョンストン島での核実験です。折しも雨が降り出し、
慌てて学生達に、デッキハウスの中に入るよう指示しました。

【SF】 なんと、荒川さんと<ポン丸>の皆さんも危機一髪だったとは!
皆さん、ご無事で何よりでした。しかし荒川さんからは、本当にエピソードが
エンドレスで出てきますね!(笑)何時間あっても足りないです。またぜひ、
お話を伺わせて下さい!

荒川さん Miss Inter035
沖縄で行われた海洋博でミス・インターナショナルの
美女たちと♪

インタビュー:Qたろー

荒川キャプテンには、船の科学館の読書ルームでイベントを催した折にも、
大変お世話になりました。そのほかSalty Friendsのボラチームを対象と
したワークショップ「荒川塾」では、帆装貨物船<パドゥア>(現<クル
ゼンシュテルン>)の南米ホーン岬をまわった航海を描いたスケッチ集
「Sailing Round Cape Horn」(ギュンター・T・シュルツ作)を題材に
レクチャーして下さったことも。荒川キャプテンの引き出しには、海や船に
関することがいーーっぱい詰まっていて、ほんとうに次から次へとエピソー
ドが尽きません。たくさん上梓されたご著書もみんな面白いですよ~!
ぜひご一読下さい。

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